シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

仰ることにかなり同意

 
2006-04-24 - REVの日記 @はてな
 スリリングな指摘だった、のか、私が間抜けだった、のか。ともかくも確かに。
 

、「全ての生物の行動には、意図はあったりなかったりする。それを観測者は深読みしたりしなかったりする。その生物のジーンやミームが、たまたま性淘汰または自然淘汰に勝ち残った場合、われわれはそれを適応価が高かったと評価し、彼らは適応化を上昇させる意図を持っていた、と評価する」

 うーん。ぼんやりと繰り返し読む。なんか大事な見落としを指摘してくれた気がする。
 
 ただ、このようなジーンミームレベルの淘汰の結果として、個体が好む行動や個体が選択する行動には、適応価の上昇との相関が遅かれ早かれ(多分それほど遅れずに)発生してくるんじゃないかとは思う。クジャクの尾やキリンの首みたく、行動傾向そのものも性淘汰または自然淘汰に有利な条件&帰結として変化するとすれば*1、適応価をあげるように発達したその行動が苦痛で選ばれにくいってことことはあまりないだろう。もし、苦しくて辛くて快楽じゃないような、いかにも個体が適応価に沿って選択しそうにないような行動上の傾向があるならば、淘汰によってすぐ消えると思う。例えばセックスが気持ちよくない雌や雄の遺伝子は、性淘汰によって瞬間的に消えるだろう。だとすれば、個体レベルにおいて、生存や繁殖に繋がりやすい行動を選ぶ確率が高くなるように全ての生物はできているような気はする。ミドリムシも、カナリアも…人間も。ただ、快楽によるレギュレートとか本能と呼ばれがちなそれらを「意図」と呼んでいいのかどうか、怪しいかもしれない。「意図」というレトリックを軽率に用いすぎたかもしれないと反省。
 
 ※逆に、まずいことまずいものに苦痛や不快を感じない個体も淘汰されるだろう。

*1:この行動の発達をレギュレートする因子として、ドーパミンがいつどんな条件でじゅわーっと出てくるのかって所はとっても重要なんだろうな