シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

浅田彰「構造と力」83ページの四行目〜を非モテに当てはめるという道草

 

しかしカオスによるセミオティックな否定性は、それだけで完全に吸収し尽くされはしない。そこで、否定性を特殊な位置に囲い込み、車を回し続けるネズミのように不毛な永久運動をさせておくメカニズムが創出される。それによって否定性は自らの上にぴったりと折り重ねられ、一切の物質性、一切の物質的・性的生産から切り離された所で、回転し続けるのである。これを担うのは、俗世間から隔絶した生活を送る教団型の組織−−とりわけ、ホモセクシャルな擬制的兄弟団−−である。 (中略) 彼らは実質的には何も言わず、ただ自らを反復し続けるのである。

 
 上の引用をみていると、どうしてもネット上で一時期騒がれていた一連の自称非モテ騒動を思い出してしまわずにはいられない。非モテ語りが必ずしも上記にしっくり当てはまるとは限らないにせよ、当てはまるところも幾らかある&当てはまる人も幾らかいるような気がしてならない。いや、そんな事考える為に読んでるんじゃないってばシロクマ君。でもはてな脳の恐怖で、ついついそんな風に読んでしまうお昼休みなのでした。なお、「構造と力」では続いて、

否定性が(上述)の呪縛を振り切り、ヒステリックな強迫的反復をやめて、実在の中に再導入されるとき、真の侵犯が始まる。既成の象徴秩序は解体されて無限へと開かれ、ダイナミックな組み換えが行われるであろう

 というテクスト−実践−カオスという相が紹介されている。はてさて、非モテ語りはここまで到達するのか、それとも到達できない(したくない)のか。まぁ、これ以上こんな思考をもてあそんでないで、次いかなきゃ次。
 
 それにしても、昔読んだ本を今の脳味噌で再読するのはとても楽しいことですね。はてなのこととか、(2006年の自分の知るところの)仏教や進化生物学のこととか、色んなことを考えながら再読する「構造と力」。三年前にはなかった(2006年の自分の知るところの)仏教・進化生物学と、この本の中身を脳内で仲良しにしてあげたいなどという、無茶苦茶なことを考えながら、読む。ああ、三年経った間に随分自分の脳味噌に味付けが為されたんだなと感慨しきり。顔をしかめながら、ゲラゲラ笑いながら思いっきり楽しもう。