シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「自然な表情」だからって、信じていいとは限らない

 
 自然な表情や自然な感情表出は、そのすべてが当人の[心理的・物質的]利得を達成する為の無意識下の情報放出であることは、よく知られていると思う。しかし考えようによっては、不自然な表情や不自然な感情表出もまた、何らかの形で当人の[心理的・物質的]利得を達成する為の手段と考えることができる。両者の違っている点は、それが意識的なものか無意識的なものなのか程度であって、どちらの場合であれ、非言語情報の表出が当人の[心理的・物質的]利得・目的を達成する為の手段であるという点では変わらない。「対象の表情が自然なものか否か」などというのも、せいぜい、情報表出の随意性の程度を問うことに過ぎないのかもしれない。
 
 なお、自然な表情や感情表出のほうが「随意的には嘘をつきにくい」し、だからこそ人は自然な表情をこそ信頼しようとする*1が、ここには大きな落とし穴がある。無意識の非言語情報なら本物だと、誰が決めたのか?無意識の非言語情報なら「信頼できる」と何故思い込めるのか?私はそうは思わない。言語/非言語の情報表出が、常に当人の目的達成のための手段である以上、無意識レベルにおいても人間は「利益を最大化する為の適切な表出」を行うに違いなく、嘘をつける人は無意識レベルでも偽の情報を表出するだろう、当人すら気づかないうちに。
 
 非言語レベルに重きを置いて対人コミュニケーションを展開する女性のうちに、私はこういう適応形態を見出して戦慄することがある。それも一度や二度ではない。「本当の嘘」をつける恐るべき女性は、きっとあなたの間近にも潜んでいることだろう。騙されるな!
 

*1:特に、言語コミュニケーションに頼りがちな男性においてはこの傾向は顕著だ。