シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

脱オタ五カ年計画(5)四年目

 
 脱オタと呼称し得る「コミュニケーションと文化全般に関わる総改善」計画は、やはり傍目にも目立つものだったらしい。数年間で起こった変化には周囲の人達も気づいたようで、いろいろな言葉をかけてくれた。とある女医さんがこう言っていたことが忘れられない。「シロクマは、まっしぐらに色々かき集めていて、昔のオタクっぽい雰囲気がなくなってしまった。ギラギラしてるよね」。彼女は、必ずしも肯定的なニュアンスでそれを口にしたわけではないようだった。また彼女は、適応に貢献しそうな能力・スキル・リソースばかりを集めることがそれ自体アキレス腱になる事も(賢明にも)指摘してくれていた。第三者から視て、当時の私は人工的で少々やりすぎのように捉えられたのだろうか。
 
 彼女の指摘は間もなく現実のものとなった。拡張に次ぐ拡張を繰り返した結果、それら全てを保有・発展させ続ける事が困難になってしまったのだ。時間、体力、神経etc...いずれも絶対的に不足し、補給線の延びきったフロントラインのように停滞した。人間関係も各種文化活動もインターネットも、それなりのエネルギーとそれなりのコストを要するわけだが、それら全てをカバーする事が次第に苦痛になり始めた。服の店にも二ヶ月に一度程度しか行けなくなり、やりたいゲームも後手に回り始めた。眼や感情などを使った非言語コミュニケーションの併用が与える影響の大きさに気づいた当時の私は、愚かにも、それを臨床・プライベート両面に投入しまくるようになっていた。非言語コミュニケーションのチャンネルを総動員するコミュニケーションは、そうでない場合に比べて質・量ともに豊かなコミュニケーションを約束するが、自分の感情すら制御するこのやり方は(自分自身の精神力に関する)燃費がかなり悪い。だが私はやってしまったのだ。眼を、感情を、表情筋を、総動員し続け、効果的ではあっても燃費の悪い損耗を繰り返した。それも、公私問わないあらゆるコミュニケーション場面に、である。
  
 やがて災厄は訪れた。脱オタを開始して約四年目の夏、私は自分自身のホメオスタシスに破綻を来たしてしまった。本来、ストレスが加わっても生活に「あそび」があれば人間のホメオスタシスは維持される。だが、適応技術開発にぎりぎりまで投資していた私には、その「あそび」が無かった。一時的に人間関係や拡張を停止させれば何とかなっていた気もするが、当時の私にはそれがわからなかった。ある日突然、私は全く眠れなくなった。2chやインターネットの文字を眺めるのも苦痛になり、パソコンが使えなくなった。データバスとして機能拡張しすぎた眼はスイッチがオフに出来なくなってしまい、“情報の塊たる人の顔”を視る事が困難になってしまった。それどころか、目を開いて何かを見ること全てが苦痛と化してしまった。。好奇心と拡張志向の赴くままに脱オタした私が行き着いたのは、「過剰適応の果ての破綻」だったといえるだろう。
 
 以後私は、約一年に渡って黄昏の時を耐えなければならなかった。新規の開発は全て中止になった。痛んだ神経は、シューティングゲームのプレイを不可能にしてしまった。2003年は(難易度が手ごろな事で有名な)エスプガルーダがリリースされた年だったが、私はそれさえクリアする事が出来なかった。「ゴミ同然の弾幕」すら管制処理しきれなくなった事に私は愕然とし、自分が辿り着いた状況に絶望した。あれもしたい、これもしたい、だけど何も出来ないという苛立ち!当時唯一の慰安は、シビライゼーション3だけだった。ゆっくりプレイ出来るこのゲームにすがりつきながら、私は回復の時をじっと待ち続けた。結局、この危機に際して私を救い、ヒントを与えてくれたのは、(あんなに脱オタ時には蔑ろにしていた)ゲームとオタク仲間達だった。オタク界隈のお陰で危機を乗り切ったという経験は、適応至上主義に熱狂していた私に方向転換を迫るものだった。「オタク趣味を見直そう。元気になったら色々な作品に触れてみよう。」そんな事を考えながら、機能回復の日を待ち続けていた。