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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

脱オタ五カ年計画(4)三年目

 
 脱オタを開始して三年目、2003年は収穫の年だった。ファッションをはじめとする各種文化投資がいよいよ「面白い」と思えるようになったのはこの頃からだ。もはや丸井やパルコを不安そうに歩き回るシロクマの姿は無い。銀座や新宿も選択肢に入るようになり、服装選びが一番楽しかった時代かもしれない。私の脱オタファッションは、『脱オタクファッションガイド』や『COMME CA DU NERD』を習うところからスタートしていたが、この頃には「模倣の時代」は終わっていた。方向性そのものは久世さんが提示したものとそう変わりなかったかもしれないが、次第に自分の好みで着たいモノを着る傾向が強くなってきた。それを探す為のノウハウと好奇心も、徐々に自分のモノになりつつあった。やがて、ただ格好良さを目指すのではなく、メンテナンス性やコストパフォーマンスにアイテム探しの重点が置かれるようになってきた。いかに高性能かではなく、いかに高効率なファッションを実現するか。服装やアイテムの運用・目的・減価償却を考えるにつれて、服装選びは益々複雑さと楽しみを増していった。順列組み合わせと自分自身の好み、経済性、メンテナンス性。あれこれと考えるようになればなるほど納得の一品に出会うことは難しくなり、そして服探しが楽しくもなっていったと記憶している。
  
 服装以外でも、三年前に蒔いた種がようやく芽を出しはじめていた。精神医学、クラシック音楽、四国八十八カ所霊場…。三年前、すぐには芽が出なくてもいつか楽しく親しめるようになるだろうと背伸びしていたモノは、この頃には全て楽しいエンターテイメント(仏教はちょっと違うけど)になっていた。交際していた人から授かった音楽も、仏教も、精神医学も、もはや単なる模倣でも苦痛でもなくなり、次第に自分を形成する素子となり始めているらしかった。文化が、それ自体人間関係に影響を与える要素である事に気付いたのもこの頃からだ。ラヴェルやバッハが手放せなくなった。娑婆は適者生存の世界だと私は理解していたので、差異化ゲームにおいて有利な文化プレゼンスが可能で、しかもベタでも飽きないこれらの文化リソースは魅力的なものだった。ベタでもメタでも楽しめるファッション・音楽・書籍に、私は夢中になっていた。そうこうしているうちに、あんなに自分を苛んでいた劣等感も、好奇心と達成感の前にどこかに吹き飛んでいた。「劣っている?なら追いつけば良い。追い越せば良い。」――信じがたいほど当時の私は楽観的だったと思う。凄まじい上昇志向と拡張志向に取り憑かれていた。
 
 オタク趣味もまだまだ元気だった。怒首領蜂大往生、ガンパレードマーチ、君が望む永遠など、あれやこれやの名作に触れることが出来た。ガンパレードマーチは、私の適応概念に重大な影響を与えた。即ち、
1.容姿と魅力がある程度無いと、ゲームのスムーズな進行が困難になる。特に互恵的関係が結びづらくなる
2.発言力を溜めずに安易に発現を繰り返せば軽視されるようになる。ここぞという時に、これぞという案件を提案せよ。
3.気力や体力が消耗するとブッ倒れるぞ
 
 これらのガンパレードマーチモデルは、現在の私の適応維持システムにも組み込まれている。容姿や魅力に一定の投資を割り振る事、目上の人に提案するときには、発言力を溜めておいてここぞという時にクリティカルな発現を目指すことなどは、ガンパレに教えてもらった大切な生活の知恵だった。ゲームはいつも私に大切なものを与えてくれる。