シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

昭和っぽい漁村は、“平成”になるか“昭和”ごと消えるか、どっちかだろな。

 
 殆ど発作的に魚が食べたくなって、北陸の沿岸部にお出かけすることにした。黒部漁港傍の生地温泉は、北陸沿岸部に典型的な漁村のなかに温泉宿が建っている、ちょっと風変わりな観光地だ。観光地とはいっても春もまだ浅く、お客さんはどこにもいない。小雨の舞うなか、誰もいない漁村を散策してまわるなんて狙って経験出来るものではなく(私が十分エキセントリックな人間なら狙って経験出来るだろうけど)、大変貴重な経験になった。この事は、記憶に残しておこう。
 
・オロナイン軟膏の看板(昭和50年代のやつ。ボンカレーなどのアレ)がまだ残っていて驚いた。それも、ちゃんと営業している店の壁にまだ貼られていた。剥がされる事なく、マニアにも拉致されず、未だ残っている事に驚いた。
・海辺に建つ浄土真宗の寺からは読経の声が聞こえてきた。引き寄せられるように境内へ入ると、大きな阿弥陀様の前で御坊様がお経をあげているのがみえた。開基は13世紀中頃という。
・仕立て屋発見。暗い店内の奥に小さなおばあちゃん発見。丸い眼鏡をかけて本を読んでいる。齢70歳ぐらいか。
・そのすぐ側に畳屋も立っていた。こちらでは、じいちゃん発見。
・薬屋、魚屋、酒屋、寿司屋がそこらじゅうに建っている。十数分の散策のなかで、それぞれ4件以上見かけた気がする。薬屋が沢山ある地域は結構あるけれど、魚屋数・寿司屋数が狭い地域にあんなに密集しているってどういう事なんだろうか?
・魚屋からは焼き魚の素晴らしい香り。近海物のヒラメ、アジ、バイ貝などがこともなげに並んでいる。値段は決して安くないが、モノは素晴らしかった。
・八百屋には買い物籠を持った地元のお客さんが数人。通りがかった私達に対してうさん臭そうな視線を投げかけてくる。排他性?
・さかりのついた鳶や猫が、あちこちで喧嘩している。雨が降っても、風が吹いても発情期。
 
 私の育った北陸の漁村は、平成に入ってから小売店の閉鎖が相次ぎ、“国道沿いのどこにでもある店舗”にすっかり呑み込まれてしまった。しかし黒部漁港周辺には、まだ昭和の匂いがしっかり残っている。畳屋や金物屋など、都市部では絶滅危惧種に指定されそうな店舗が残存していて、内には開け放たれ外には排他的な雰囲気が漂っている。国産ウイスキーと日本酒しか置いてない酒屋にも、ちゃんと近所のお客さんがついているのだろう。都会の競争原理とは異なるルールに則って、それらの店舗は存続し続けている。気分は『ひぐらしのなく頃に』。うん、そうそう、雛見沢の漁村バージョン。遙か昔、私が保育園に通っていた頃の故郷も同じ感じだったと思う。地域の内側は強い結びつきで結ばれ、地域の外側に対しては排他的なあの田舎独特の空気。私はそれを懐かしく思う。決して良いモノだと言うつもりはないけど、あれはあれで悪くない世界だったなと回想する。勿論、もうあの頃には帰れない。帰ろうにも帰る場所は失われて久しい。今回私が訪れた漁村も、やがて消えてしまうのだろう。街は昭和50年のままでいられても、人は昭和50年のままでいられない。仕立て屋のおばあちゃんや畳屋のおじいちゃんが現役を退く時、あの街は“平成”になるのだろうか、それとも“昭和”ごと消滅してしまうのだろうか。どちらにしても、嘆いたってしようがないよね。