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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

おまけのやりとり

 

 なお、3/7に天馬さんとこんなやりとりをやっていますが、

# yuikoinu 『自分にもそういう面はあります。

しかし、自分よりも明らかに立場の弱い人間を
生贄にしてナルシシズムを満たすのではなく
あくまでも自分よりも強い人間を超える為に
自分を高めようとするのが自分の戦い方です。』 (2006/03/07 22:22)

# p_shirokuma 『>>天馬さん
 その優越ゲーム・差異化ゲームが、誰にとって、どんな意味を持つのか…。差異化ゲームが差異化ゲームである限り、そこには優劣が生じ、優越感と劣等感、有利と不利が生じます。この厳しい面を見つめつつも、私も天馬さんも、他の人達も、生きていくしかないんだと思ってます。

ただし、私が疑義を申し立てたくなるのは、唯一、自分の手は真っ白だと思っている人達です。多分、天馬さんの手も私と同じく汚れてる&その事を知っているでしょうから、大丈夫じゃないかと。(勿論、故意にもっと手を汚すのは駄目駄目だと思いますけど、そんな奴ぁあんまりいないでしょう)』 (2006/03/07 23:21)

 しかし、今回の件で遂に私は、天馬さんが「自分の手は白い」と勘違いしているんじゃでないかと疑いを持つに至った。どんなにいい子ぶっても、どんなに相手を優劣で捉えないようにしても、ファッションが孕む差異化の構造は一方に優越冠を与え、一方に残念感を与えてしまう。この事には十分な注意が必要だと思う。私自身はそんな事を考えながら、なおも一個人として(あらゆる方面の)差異化ゲームに少しでも勝利しようと藻掻き続けている。醜いことだとは思う。だけど、醜いと自覚しているからこそ、目の前の相手を切り刻んでいるかもしれない事に自覚的になれるし、同じような差異化ゲームを(異なる次元で)行っている人達にもなるべく寛容でありたいと思えるようになった。「自分の手は白い」と思いながらファッション巧者である事は、差異化ゲームにおいて容赦ない虐殺を罪悪感無くやってしまうリスクを孕んでいる。ファッション巧者は、一緒に呼吸するだけで隣のキモオタ君を(劣等感で)ズタズタにしてしまう可能性がある。クラシックオタクは、隣の素人とのクラシック談話をすることで素人さんを打ちのめしてしまう可能性がある。他者に対する文化プレゼンスを考える時、こういう仕組みも考慮しないわけにはいかない。
 
 あっ!ほら、そこで文学哲学使った差異化ゲームやってるキミ!キミの手もほら、僕達と同じくらい血塗れだよ!ドロドロのメタメタだよ!さぁ、ボクと一緒に泥んこ遊びをしよう!