シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

 NHKスペシャル『気候大異変(2)環境崩壊の危機』を見る。地球温暖化が人為的か否か、それとも温暖化なのか寒冷化なのかは定かではないが、とにかくとんでもない勢いで進む環境の変化。私個人は、「人為と自然の掛け合わせによって気候の変動が加速している」と勝手に思っているが、原因や方向がどうあれ、多分数十年後にはとんでもない事になっているに違いない。今の資本主義は、快楽や消費や開発を加速する。中国なんかはどんどんそっちに進むのだろう。だけどたいていの国は必死にブレーキをかけようとしなさげなので、やっぱり駄目だろう。だが、この手の懸念は偉い人達に殆ど相手にされていない。いや、彼らのインセンティブを刺激しない、と表現するのが適当か。既に台風パワーアップだのモルジブ水没危機だの旱魃だのといった色々な兆候はあるにしても、偉い人達のインセンティブはやはり刺激されまい。少なくとも、もし私自身が老い先短く、なおかつ子どもに資産を残せる企業家だったとしたら、環境問題に目を瞑って一族の私腹を肥やすことだろう。「環境問題なんてとんでもない」。
 
 一方、偉い人がどうかはともかく、世間の人達は、遠くではあるが確実に訪れる黄昏に目を逸らして生きている。いや、そんなものに目を向けていてはやってられない。温暖化などの環境問題は、西側vs東側の三次世界大戦ほど決定的破局をもたらさないにせよ、真綿で首を絞めるようにじりじりと未来を貧困にしていく。少なくとも今の生活水準をひ孫世代に引き継ぐ事はほぼ不可能に違いなく、既に手遅れだと私自身は考えている。いや、おそらく大抵の人は本当はその事に気付いている。だが、自分のメンタルを守るためにも、社会を守るためにも、子育てを続けるためにも、昏くて確からしい未来に目を向けるわけにはいかない。現代の日本人ほどの教育水準であれば、2006年の(環境的・政治的・思想的)現状が永遠のものではない事に気付く可能性は高いと思うのだが、そんなものと日々向き合っていてはやっていられない。「空が落ちてくる」ことを故人は「杞憂」と呼んだが、今日「環境問題が落ちてくる」ことは「杞憂」ではなく「既に始まっている未来」である。だけど、そのような懸念と向き合って生活出来るほど人間のメンタルは丈夫に出来ていないし、そんな生き方は(個人レベルでは)あまり健康的とは言えない。
 
 よって、滅茶苦茶うがった見方をすると、以下のように解釈も一応可能になる。
世間の人達は環境問題が可能性大と知りつつも、子育てや日々の多忙や快適さを優先させ、そのような心配を無意識に追放する。或いは、「エコ」という言葉の入った商品を消費する事によって防衛(補償)する、と。このような防衛機制は、個人レベルでは適応促進的と言え、「確実なる杞憂」に直面化する事による摩耗から私達を守ってくれる大切な営みかもしれない、もしあるとすれば。人間のメンタルは、ゆっくりと圧迫感を増してくる灰色の空を観測し続けて生きていけるほど丈夫ではないと思う。環境問題にもっと目を向けろとか、将来来るべき災厄を直視しろと言うつもりはない。第一そんな事をしたところでミクロな個人の選択肢は少なすぎて、しかも小さすぎる。大局に影響しない努力のために、個人個人にカタストロフィを直視し続けよと命じるのも酷な話で、ナンセンスだと思う。私達一人一人が防衛機制を働かせて環境問題から目を逸らせる事は、個人レベルではむしろ必要ですらあるというのが私の推測だ。もちろん、偉い人達、国の未来を左右する立場の人達、その道のプロの皆さんにおいてはこの限りではないが。
 
 仕方がない事だと思う。だからこれからも目を瞑るんだと思う。そして、“その日”はゆっくり確実にやってくる。他にも年金・税金・国債・アジア情勢など、目を瞑りたくなる懸案は沢山あれど、なかでも環境問題はもはや人為ではどうにもならず、避けようがない。だったら、目を瞑って今を精一杯生きるってもんなんだろうな。多分。それに“その日”がやってきたとて、私達は日々を精一杯悪あがきして生きるしかないんだし、そんな状況下でも笑顔と快適を求めていがみ合ったり奪い合ったりを続けるだけなんだろうし。
 
 ※勿論、防衛機制という視点からだけ眺めるのは無茶なのは間違いありませんよね。ただ、一視点としてはどうでしょうか?ってのは誰かにもっと真面目につめてもらいたいなぁ。
 
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 ダイアモンド博士は、下巻を何とか楽観的ムードに包みたかったんじゃないかなと思う。少なくとも、それはこの本の読者のニーズには応えていると思う。思いたくないけど、思う。