シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

 「ああ、この人はA、B、C、Dの原因・要因をもっているから、EとFの結果は発生するだろうな」と私にははっきりわかっていた場合。それも、EとFの結果がその人の適応を今後制限するか、苦しみを生み出すことが私には明らかな場合。
 
 白衣を着ている時なら、私はその因果関係の可能性を提言してみるだろう。そしてEとFの結果を抑止するには、A〜Dのいずれかの原因や要因にアプローチすることが不可避ではないかと問いかけるだろう。だが、そのような提案の少なからぬ割合は棄却される。「大丈夫ですよ」「そんなことはないです」と。確かに実際に大丈夫なこともある。私の推測が厳しすぎた場合や、EやFの要因がA〜Dよりも、G〜Hとかに依ることを見抜けなかった場合に、こういう事態は発生するが、幸か不幸か、白衣モードの時にこの例外的事態が発生する確率はかなり低い。たいてい、A〜Dいずれかの要因に端を発したEやFの結果が発生することになる。
 
 よって、因果関係が私の側には明確であっても、対象には明確でない時、私は対象の意志を尊重しつつも、頭のなかで未来予想図を描いてなんともいえない気分になるのが最近癖になっている。もちろんそこで終わらずに、EやFといった悪い予測が的中した時の手を予め考えておくんだけど、それでも気分は「なんともいえない」。そんな予測は外れて欲しい、白衣モードの私の因果関係に関する予測が外れて欲しいと思うのだが、研鑽を重ねれば重ねるほど、予測の的中率は高まっていく。これからも高まっていくだろうし、高めていくのだろう。
 
 また、白衣を着ていない時にも同様の「なんともいえない」気分を味わうことは多い。今ならA〜Dの要因にアプローチできてEやFの結果を回避できる可能性の非常に高い人がいたとして、やんわりとその可能性を示唆しても、相手が採用しない場合。もちろん、私はその相手の自由意志を尊重する。彼には失敗する権利もあるし、(臨床、という次元を離れた時の)私の予測なんてどこまで当たるかわかったものではない。だが、高確率であたるだろうと思うことはあるし、事実あたるのを目の当たりにすることも多い。「なんともいえない」気分になる。だが、それも世の理なんだろうと割り切ることにしよう。辛くなったらお経でも読めばいいか。