シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

 エヴァンゲリオン、再びレンタルしてきたがかなり借りられていて17話〜20話までしかみられなかった。しかしたった四話、されど四話。なんという濃さ、なんというインパクトだろう。当時の私が強烈な印象を受けたのも、当時のオタク達がはまりまくったのも頷ける。当時の視点、今の視点の違いを愉しむもよし。いよいよ盛り上がって参りました!
 

  • 17話〜18話

 最後の日常を謳歌するチルドレン達と大人達の描写…と思いつつも、来るべき19話に向けて着実に視聴者の不安感やわだかまりを煽っている。これで煽って煽って煽られて19話『男の戦い』に持っていくんですから、ヒートアップしないほうがおかしい。ここら辺は本当によく出来ていると思う。しかし、アムロのような成長を期待させるこのシーンながら、シンジに成長を期待した視聴者達は*1、後に千尋の谷に突き落とされるのだ。太陽の絵を様々な形で挿入するのも見事。実に象徴的だ。太陽が昇るだけのストーリーは、もうないというわけか。

加持「何かを作る、何かを育てるのはいいぞぅ。いろんなことが見えるし、 わかってくる。楽しいこととかな」
シンジ「辛いこともでしょ?」
加持「辛いのは、嫌いか?」
シンジ「好きじゃないです」

 
 育む、という事は楽しさと辛さが表裏一体の筈である。だが、シンジは辛さを回避する事を仄めかす。楽しさと辛さが一体の状況よりは、誰も傷つけないし自分も傷つかない、だけど何も生まれない世界をシンジは選ぶというのか。映画版では、アスカの頬なでもあって、最終的にシンジはそれを選ばずに辛さと楽しさの可能性に賭ける事になる。可能性でしかないが、シンジは賭けることになる。だが…監督さんがメッセージを伝えたいと思っていた人々においてはどうなのだろうか。
 
 また、このほかにも加持さんは後の話とリンクしていてなおかつ興味深い事を言っている。

加持「彼女というのは遥か彼方の女と書く」
(中略)
加持「女性は向こう岸の存在だよ、我々男にとってはね。」

 
 他人とは100%の理解は出来ない。分かった気になっても、unknownの部分が依然として存在し続ける。こんな当たり前の事を加持さんは指摘したわけだけど、シンジはそれをはねつける。果たして、はねつけたのは劇中のシンジだけだったのだろうか。
 

  • 19話

 17話〜18話の展開が、一気に開花するのが19話。アスカ、レイの無惨な敗北、ゼルエルの圧倒的戦闘力、BGM(タナトスなど)、すべてがこの一話を一気に盛り上げ、シンクロ率400%をもって視聴者は固唾を呑んで20話を待つことになるわけだ。いやはや、恐ろしいことだ。これじゃあ初見の人が続きを見たくなるのは当然としか言いようがないし、それをやってのけた監督さんはそれだけでもやっぱり凄いと思う。とんでもねぇ。それはともかく、以下の台詞がいい感じで視聴者に迫ってくる。当時、私は自分達に対するメッセージである事を迂闊にも見逃していた。だが、今はそれらがシンジに暗喩される者への明確なメッセージのひとつ、とも過剰なほど意識してしまう。もちろんそれがすべてではないのだが。

 レイ「碇君は、お父さんのことわかろうとしたの?お父さんの気持ちを」
シンジ「わかろうとした」
 レイ「ほんとうに、わかろうとしたの?」
シンジ「わかろうとしたっていってるだろ!」
 レイ「そうやって、いやなことから逃げているのね」

 これは様々な形に加工することが出来るし、それぞれの形式で、それぞれの対象に合致してしまう筈だ。もちろん監督さんはそのことを意識したうえでメッセージとして送りつけてきたに違いない。

 レイ「○○君は、他者のことわかろうとしたの?他者の気持ちを」
視聴者「わかろうとした」
 レイ「ほんとうに、わかろうとしたの?」
視聴者「わかろうとしたっていってるだろ!」
 レイ「そうやって、いやなことから逃げているのね」

 

 レイ「○○君は、女の子のことわかろうとしたの?女の子の気持ちを」
視聴者「わかろうとした」
 レイ「ほんとうに、わかろうとしたの?」
視聴者「わかろうとしたっていってるだろ!」
 レイ「そうやって、いやなことから逃げているのね」

 
 一方向的にキャラに願望を叶えてもらうばかりの萌えオタ達は、このメッセージに気づかないほど鈍感だったか、これらのメッセージを握りつぶすか否定するほどに敏感だった。或いは、一方向的に女性に願望を叶えてもらいたがるパッシブな男達は、このメッセージに気づかないほど鈍感だったか、これらのメッセージを握りつぶすか否定するほどに敏感だった。
 

*1:或いはそのように成長していくシンジに、未来の自分を重ねたいと期待したオタク達は、かもしれない