シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

 ぐだぐだと記録しときますか。
 
 エヴァンゲリオンを再び見る。9話〜16話。時には「島編」とさえ言われるヌルい9話〜12話だが、普通のアニメとしては十分良い出来だし、個々のキャラの個性や関係を推定させる描写がチラホラあって退屈しない。また、時代を感じさせる古さもてんこもりで、おじさんは楽しくてしかたありませんよ!
 

  • 9話

 シンジとアスカのユニゾン用の練習ゲームが、DDRじゃない。あと数年遅くエヴァンゲリオンが出ていたら、画面を動く矢印に合わせて二人ユニゾンしていたかもしれない(コナミに許可とれなかったら違うかもしれないが)。だけど彼らのユニゾン練習のソレは、ファミコンか何かであった練習ゲームのものになっている。

  • 10話

 再確認したのは、ミサトはアスカを危ないところで危ない作業させる時には顔色を絶対変えない。映画版25話ほど極端ではないにせよ、ミサトはアスカには「実は死ねそうな指示」を顔色ひとつ変えずに出している。そこには躊躇というものがみられない。このような蓄積は、ミサト邸内における「家族ごっこ」に着実に蓄積していきそうだよなぁ。女同士だからなのか、それ以外のファクターによるものか…。

  • 11話

 マトリエル、という使徒の存在を失念していた。視る前は何度使徒を勘定しても一匹足りないのでおかしいと思ってたらこいつだった。
 今回再見して気づいた(多分当時も気づいていた)のは、「所詮、人間の敵は人間だよ」という言葉をここでもゲンドウが言っていた事。あらまぁ。

  • 12話

 ミサトの昇進祝いの時、シンジだけが同世代のなかで浮いていた。アスカもトウジ達にまじってギャンギャンやっていたのに。シンジは一人、ミサトに対して「こういうの、苦手なんです、人が多いの」とか話しかけている。シンジ君らしい空気っぷりだが、7話とかを回想するとなんで今更空気男に逆戻りなのか?と思ってしまう。物語の都合上、ここから先シンジが空気男っぽい所が無いと困っちゃうだろうでしょうけど。
 そういえばミサトって南極で遭難した時、14歳だったんですね。なんで南極なんぞにいたのかと思っていた疑問に対して、「パイロット候補だったのでは?当時ミサトは14歳だから」と初見の人に突っ込まれた。どうだったっけ…。

  • 13話

 とにかくPCや機材が古い。やっぱwindows95のテイストです。キーボードを叩くシーンが多いのも時代の流れを感じさせる。放送当時はドキドキしたハッキングのシーンとかも、攻殻機動隊とかを視た後にはちょっともの悲しいものがある。とはいえ十分臨場感がある。ただ畳みかけるだけじゃここまで面白くない。いい仕事してると思う。

  • 14話

 間をもたせる回だけど、エヴァ文字をまじえた効果的な編集で視ていて退屈しない。VガンダムやガンダムWの時なんかは退屈で視ていられなかった事を思えば大したもんだ。今視てもエヴァ文字は鮮烈だ。1997年〜2000年頃にやたら流行した時は「もうたくさん」と思ったが、忘れた状態でもう一度みてみるとインパクトがある。

  • 15話

 加持リョウジという男と、アスカの冒頭のデートをみていると、アスカは自分の快適さと愉悦だけを求めて加持さんを連れ回している。加持さんの都合はおかまいなしというあたり、アスカの対異性行動はまだまだ子ども…これじゃあミサトにかなうわけがない。「私は大人よ、大人よっ!」って言ってもこれじゃあねぇ。一方、加持さんの対異性行動の適切さが対照的。ミサト、アスカ、それぞれの求めるところのものを(非言語含めて)えげつないほどプレゼントしている。
 (以下、旧アスカ馬鹿としてのえこひいき視点)シンジ君、キスする時は女の子の肩ぐらい持ってあげなさいよ。それじゃあうがいしたくなるだろうし、塞いだ鼻を明けてくれませんよ。もちろんあの歳であのシンジだからそういう事は出来ないんだろうけど。あそこでシンジが疑似キスをキスの空気に昇華できたなら、話はどうなっていたのだろうか。だけどそれはシンジには決して出来ないことだし、アスカもまた簡単にそれを許さないかのように鼻をつまみやがっている。嗚呼、合掌!

  • 16話

 やっとエヴァンゲリオンらしくなってきた。メンヘルチックな独白と例の怪しい音楽。“メンヘルメンヘル”と謳いながら視る。「楽しいことみつけたんだ、楽しいことみつけて、そればっかりやってて、何が悪いんだよ」という台詞は、シンジ君に自分を重ねやすいオタク達や、彼に代表される病理性をもった同時代のオトコノコに向けられたものか。だとしたら、視聴者各位にはさぞかし重くひびいたことだろう(か、防衛あまって嫌悪感か、俺は違う感か)。少なくとも当時の私は、この台詞も含めた多くの影響をエヴァから被り、「楽しいオタ趣味ばっかじゃやっぱ駄目だ!俺は俺を強化してやる!」と脱オタ推進を強く心に誓ったものである。エヴァのように(今で言う動物化したオタク達あたりが該当だろうが)想定視聴者の心的傾向や防衛にここまで「ずけずけと直面化」を迫るオタクメディアは、当時極めて斬新だったと思う*1。あるいは近年の「ココロを描写するオタクコンテンツ」も、ここまで丁寧かつ踏み込んだ描写はしきれていないような気がする。第一、視聴者の襟首を掴んで「直面化」を迫るようなやくざな感じがない。だからエヴァほど記憶に残らないし、エヴァほど物議を醸さないのかもしれない。
 
 まだまだ「まったりエヴァンゲリオン」の雰囲気は続いている。ここまでは普通のロボットアニメとして秀逸という感じだけど、16話あたりからは、同時代のオタ達の心的傾向を暴き、それに対してメッセージを発していくという要素が強くなり、ゆえにこそがぜん面白く、痛々しくなっていく。果たして精神科医となって数年経った今の私は、それらを視て何を思い、何を考えるのだろうか。当時のオタク達に「直面化」を迫ったとんでもないアニメとどう向き合うのだろうか?
 

*1:富野御大のZガンダムやVガンダムなんかはいい感じで時代を先取りして描写してたと思う。だが、ZガンダムやVガンダムは、精神分析するかのような態度で視聴者に迫っては来ない。しかしエヴァはそれをズケズケとやりやがったのだ!お茶の間の大きなお友達達に対して!