シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「快楽をやろう」

 
  女のいない寺院や修道院に籠もる者も色々だろうが、自分自身が穢れない生活を送っている、ということに密かな優越感や快楽を感じ取っている者は、そのほかの優越感や快楽によって容易に堕落するに違いない。
 彼らが自らの行為を通して快楽を貪っている限り、それがどれほど密やかなものであれ、悪魔の掌の上から逃れた事にはならないし聖性を身にまとうこともあり得ない。現在貪っている快楽や優越感よりも大きな快楽や優越感をぶつけさえすれば、必ず堕とすことが出来よう。
 私がもし巨大なチカラを持った悪魔だとしたら、まずはそのような輩に最高最大の快楽を与え、まっさかさまに堕落するプロセスを楽しむことだろう。そして堕ちた彼らと酒を酌み交わすのだ。
 
 私のこのようなろくでもない志向は、かなり昔から存在していたものだと思う。良く言えば葛藤の解放、悪く言えば快楽への耽溺を促す誘惑を、私はオタク界隈で愉しんだものである。もちろん、狙うべきは「女のいない寺院や修道院に籠もる事に優越感や快楽を感じている者達」だ。今の仕事を始める前から、私は他人の慾や優越感に敏感だったと思う*1。密やかな優越感や快楽を嗅ぎ取り、欲望の兆候に適切な油を注ぐと、彼らは松明のように萌えあがった。

 シューティングゲーム界隈や軍オタ界隈では、しばしば「あらあら無理しちゃって」という感じの緊張感溢れるピューリタンに出会うことがあった。彼らの、清純さに関する優越感や緊張感は、背景に存在する巨大な快楽への欲望を予感させるに十分だった。故に私は彼らに「快楽を投げ与えた」。予想通り、彼らの清純な仮面はたちまち割れ、息の詰まるような萌え・エロ・同人に満ちた、快楽の華が開花したと記憶している。既に堕落の兆候のある似非聖者を、等身大の姿に還すプロセスはなかなか楽しく、彼らが無駄な緊張感から開放されたことをオタ仲間のひとりとして悦んだものである(もちろん私は彼らの葛藤をひとつ解決したつもりですよ、ええ)。その後、私自ら「堕落の手ほどき」をすることはなくなった。決して罪の意識故ではない。なぜならそんなことしなくても、弟子達が私の後を継いでくれたからである。彼らは、私の趣向をよく理解し、愛してくれた。
 「堕落の手ほどき」は、これからもどこかで継承されていくと信じている。今もどこかで、緊張感と優越感を漂わせた似非聖者達が堕落させられているに違いない。もちろんこれは、悦ばしいことである。最初からこちらの人間側だっていうなら、なにも天使のフリして苦しむこともなかろう。口でどんなに否定しても、ほら、二次元の女の子の媚態をみて心拍数が上昇するようじゃあまだまだですよ?そんな事じゃぁ、私のような堕落した人間に、足を引っ張られてピンクの煉獄に直行ですからね。

*1:つまり、私自身が宿業を背負った欲深い人間だったからこそ敏感だったということだろう