シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

 
 例えば、生物学的に男性のほうが女性に比べて移り気な遺伝的傾向があったとする*1。よって、A氏もまた(妻に比べて)浮気をしたい衝動が沸き起こりやすいとする。だが、この生物学的傾向が真だったからといってA氏の浮気が倫理的に正当なものとみなされるわけが無いし、逆に倫理的に浮気は不当だからという理由で生物学的傾向は存在しないと頬かむりするわけにもいかない。生物学的傾向と、倫理的判断は常に分けて考えられなければならない。
 
 ところが残念ながら、これらをごちゃまぜにして考える人のほうが世の中には遥かに多い。よくみられる類型は、以下のようなところか。
 

  • 生物学的傾向がある→倫理的にも正当である とする誤解。

 生物学的傾向を背景とした行動なら、倫理的に何をやっても構わないとする向き。現在の進化生物学の主張を採用したうえでこれをやると、男性は不倫・浮気はノープロブレムという事になってしまうし、つきつめればおそらく弱肉強食の世界をただ全肯定するところに行き着くだろう。ひどい時には、それをもって自分の悪行を正当化しようと強弁する者もいる。

  • 倫理的に認められない→そのような事実は存在しない とする頬かむり。

 倫理的に認められない事自体は結構なことだが、人間という種にみられる傾向を捻じ曲げて理解する&認める事の出来ない人がいる。彼らは倫理的に正しいことと人間という種が持つ遺伝的傾向を、イコールで結ばないと気が済まないらしい。生物学的傾向があるということを認めた瞬間に、彼らは自分達が倫理的であり続ける事が不可能になるとでも思っているのだろうか?*2
 
 繰り返すが、遺伝的傾向と倫理的命題は別個の問題だ。
遺伝的傾向の正否を明らかにするのは、神学者や倫理学者の仕事ではなく、行動学者や生物学者の仕事だ。倫理的問題の正否を考察するのは、行動学者や生物学者の仕事ではなく、神学者や倫理学者の仕事だ。ここを勘違いしないようにしたいし、勘違いしている人を見かけたら茶々を入れたいと思う。
 

*1:いや実際にはその通りなのだが

*2:もしそうだとしたら、これはひどい人間不信の考えかたと言えるかもしれない。一人一人の人間が、遺伝情報に操られるだけのマリオネットだとみなしているかのような考え方といえる。冗談ではない。