2006-01-21 ■ 塵 塵 俺は道徳の有用性を認めているし、だからこそ道徳に一定の敬意を示している。だが、道徳そのものが目的化してしまったり、(例えばニーチェ曰くの)奴隷道徳のように道徳がルサンチマンに由来する場合は、それを退ける。道徳は処世の手段の一つであって、道徳そのものは目的ではない。少なくとも俺はそうだ。道徳は目的ではなく、適応の為の一手段であると心得る。それ以上でもそれ以下でもない。