シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

 
 京都を旅行するAさんが、市内の寺院をまわりたいと思っていたとする。その日のAさんの能力が一定だと仮定した場合、
 
・今日中に6カ所の寺院を参拝するぞ
 と思っている場合と、
・今日中に10カ所の寺院を参拝するぞ
 と思っている場合を比較した時、
 
 不満足になったり焦燥感に囚われたりする確率が高いのは、10カ所の寺院を参拝するぞと意気込んでいる場合である。このように、一般に、欲望が大きくなればなるほど満足感を得る確率は減少し、欲望が小さくなればなるほど満足感を得る確率は高くなる。また同時に、欲望が大きくなればなるほど不満足に陥りやすくなり、欲望が小さくなればなるほど不満足に陥りにくくなる。
 
 たぶん私は欲深く罪深い人間なので、この定理に抵触する形で不満足に至りやすく満足しにくくなる可能性が高いと推測される。仏教の教えに強く共感するのも、こうした背景を持っているからこそで、彼の宗教は私の執着を軽減化させるツールとして一定の役割を果たしている。それでも慾がなくなるわけではないし、ご覧の通りようやく人並みという有様だけれどもね。