シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

 
 男だ女だに関わらず、料理が出来るってのはいいもんだと思うし、もっと上手くなりたいもんだ。料理は性別や年齢を問わず、あらゆる人を喜ばせる手段となり得るし。誰かが私の家を訪れると決まった時や小パーティーを主催する時、どんな料理を出せばゲストが喜んでくれるのか考える作業でまず楽しむことが出来る。料理の順番、(限られたコンロ・冷蔵庫・食材・お皿のなかで)どこまで料理できるのか、スケジュールと空腹度、口直しのタイミング、アルコールの相性問題etc...。限られた諸要素を考慮しながら、最適解を導く作業。しかも自分の腕をオーバーすると失敗するというのがスリリングだ。
 
 材料の買出しと調理もいい。買出しは計画に従って行うが、スーパーの攻防は水物、足りない食材が出てきたり思わぬ良素材に魅了されたり。そこを何とか工面して材料を揃え、そして調理!お客さんが来ると決まっている場合、数時間前から下ごしらえやスープ・マリネづくりなどを開始。この時間がなにげにかなり楽しい。これから来る人達の口にあうものをどうやって作るのか?無事につくれるのか?アルコールは足りるのか?フィギュアスケートやシューティングゲームに似て、一連の流れのなかで幾つかの「失敗しちゃ駄目ポイント」でコケないようにがんばる。時計をみながらがんばる。
 
 ゲストが到着したら、後は出すだけ...とはいかない。出来立ての旨いパスタや貝の酒蒸しは、もうもうと湯気をたてながらゲストに提供しないと気がすまないし、自分自身が旨くない。折角手間隙かけて料理するなら、ゲストを喜ばせるために骨惜しみは勿体無い。やはり最適のタイミングで料理と酒を出さなければ。ゲストが誰であれ料理は旨いにこしたことはないし、手数をかけておいしくすればたいていは喜んでくれるのが料理のいいところ。「おいしかったー」という笑顔はゲストに何かを提供できた事の証明書であり、私の矮小な承認要求を酔わせる美酒にもなる。

 だからこそ、いつでも誰でも喜ばせることができるこの「調理技術」を、私は大事にしていきたいと思うし、無理のない程度には追究していきたい。そして家に来たゲスト達をかたっぱしから満腹にしてしまうのだ。ゲストを喜ばせる、ということは私が喜ぶ、に直結するんだからやり甲斐十分!