シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

 
 人間、利のないところで差別はしない。利は、人間関係における優位かもしれないし、心理的安定かもしれないし、実益かもしれないが、とにかく何か差別することで得るところがなければわざわざ差別などしない。中立性を保つか、そもそも興味を持たないでスルーか。
 
 利としては、例えば以下のようなものが挙げられる。 
対象を差別することで、自分がまっとうor正当であることを証明だてる
いじめられっ子を自分自身も差別することにより、自分はいじめられる存在ではないこと・いじめられる側の人間ではないという立場を表明することができる。差別される側が悲惨なほど、そして少数なほど、このような理由で差別に加担する&せざるを得ない局面は発生しやすい。
対象を差別することで、心理的問題(劣等感)を補償することが出来る
任意の分野において自分と対象を比較し、自分の優等を認識することによって、他の分野における劣勢や過去の劣勢にまつわる劣等感をスッキリさせることが出来る。序列に敏感ながら大勢において不利を蒙る年代・立場の人において、こうした差別は要請されやすい。脳味噌を発達させてココロという複雑なメカニズムを持つ生物らしい利といえる。
対象を差別することで、対象との序列を明確化する。
自分(達)には対象が逆らうことができない・自分達のほうが優れているという事を実地ではっきりさせる手段としても、差別は有効である。心理的補償がどうといった内面の問題だけではなく、対象と自分との上下関係を対外的に明確にする役割を差別が負う場合があることに注目。
・対象を差別することで、帰属意識や仲間意識を強化する。
これは差別ではなく敵視に近いかもしれない。似たような差別意識を持つ者同士が集まった状態においては、差別対象をみんなで差別する(or敵視する)ことによって連帯感を強化することができる。連帯感や仲間意識を確認しなければならない集団において、こうした差別は要請されやすい。
  
 上記のような促進因子(メリット)があれば、差別や侮蔑は発生しやすくなるだろう。逆に、抑制因子(デメリット)としては、

・対象を差別することで、対象そのものから有効な反撃があり得る恐れがある場合。
・対象を差別することで、対象以外の周囲から非難を浴びたりイチャモンをつけられる場合。
・対象を差別することで、自分自身の胸クソが悪くなる場合(心理的に負担になる場合)。
・対象を差別することで、対象との結びつきや交流が疎外される場合(勿論この場合は対象との結びつきを望んでいる場合に限る)

 などが考えられる。
 
 子どもから大人まで誰もが、こうした促進因子と抑制因子(あるいはメリットとデメリット)を天秤にかけて、差別の可否を占っていると私は推測する。もちろん天秤の性質や精度は個人個人の性格や能力によって様々だろうが、ともかくも利のないところに差別は発生しない。差別は、差別執行者を利すると予測される場合(及び不利を回避しやすくなると予測される場合)にのみ発生する。Aという人・集団がBという人・集団を差別しないようになるには、差別のメリットを減らしデメリットを増大させる必要がある。逆に言えば、差別のメリットが大きくデメリットが小さい状況では、差別はほとんど必然的に発生するだろう。