シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

 私が脱オタ(というかコミュニケーションスペック向上と資源獲得)にエネルギーを費やした時期は、人生のなかで何度かあったが、最も最近起こった試みは2000年〜2005年にかけての『脱オタ五カ年計画』だった。ここ→汎用適応技術研究[index]も、脱オタ関連の知見を自分自身で考えながら、まず自分自身のコミュニケーションスペックを立て直す参考になるようにと造られたものだったりする。ちょうど研修医をやっていた折、文字通りの戦時体制で全生産力をコミュニケーションスペック向上と資源獲得に費やしていた。反省はあっても嘆きやぼやきの無い、全力疾走を続けていたあの頃。忙しさと自らの不甲斐なさに苦しみながらも、私は必死に資源と能力をかき集めていた。
 
 あの頃の自分と比較した時、現在脱オタについて躊躇したりぼやいたりしている人達の姿があまりにも切迫感のないものに&あるいは真剣さや覚悟を欠いたもののように見えてならないことがある。ホントはやる気ないんでしょ?って。彼らは本当に脱オタやコミュニケーションスペック向上を望んでいるのだろうか?なんか、私が当時望んでいた頃に比べると、どうも真剣さも覚悟も足りないように見えるなぁ。ぼやいてる暇なんかあったら次の手をどうするか考えているか、手足を動かしていましたよ、私の頃は。今の自分に何が可能なのか、可能だとしたらどの手を次に打っていくのか毎日毎日脳内ミーティングしてましたよ。
 
 私には躊躇している暇も泣いている暇もなかったし、悲しさや屈辱は方針決定にあたっては問題ではなかった。焦りや哀しみや苛立ちなどというものは、所詮感情レベルの問題でしかない。当時問題だったのはそうした感情レベルの波風ではなく*1、どうやって時間を確保するか・どうやって資金を確保するか・どうやって情報を選別するかなどだったと思う。自分のなかの感情だの感傷だのは辛い辛くないに影響を与えるが、脱オタの遂行で重要なのは、そんな感情にフラフラせずに現在自分が打てる手を最も効率的に効果的に遂行することに他ならない。辛い辛くないなど、治療における痛い痛くないと同様の問題でしかない。痛くても切らなきゃ治らないものは切るのと同様、辛かったり屈辱的だったとしても脱オタに有利ならば躊躇なく実行する。そうやって私はやってきたつもりだし、だからこそ一定の成果をあげることができたのだと思う。
 
 顧みて、現在脱オタについて云々している人達はどうか?既に脱オタがある程度のphaseに行っている人はともかく、そうでない人達からはこうした気概はあまり感じられない。オタクの実態やオタクコンテンツに関連した検討(汎適所属)の症例集にもみられる真剣さと覚悟が、どうしてこんなに希薄なんだろう?ひょっとすると、彼らは実際のところは脱オタを推進するだけのインセンティブが無いと推定したほうがよさそうにみえる。もしかすると、議論の為の議論とか、ネタとして脱オタというタームに戯れているという事でしょうかね?少なくとも、彼らの状況を見る限り脱オタをやる気が無いようにしかみえないし、事実あのままでは何の効果もあげることなく「やっぱり俺には無理でした」という苦い後悔がひとつ加わるだけだろう。心理的抵抗感の強さや目の前の不安・屈辱・焦燥を云々する以前に、まずそれらと真剣に向き合おうという意志があまり感じられないのをみるにつけても、ネット界隈(あるいははてな界隈、オタク界隈?)には脱オタをはじめとするコミュニケーションスキル/スペック向上に真剣に取り組んでいる人が少ないと推定せざるを得ないっぽい。
 
 だが、それはそれで構わないことかもしれない。ネタとしてならネタとして、キャラとしてならキャラとして脱オタを主張したり、議論したりすればいい。それはそれで、その人達にとって意義があるのなら、結構なことだ。もちろん私が目指す脱オタ関連テキストとは質が異なるだろうし、テキストを読む対象も異なることだろう。私の脱オタ関連テキストは、これからも脱オタを大まじめに目論む人の為だけに書いていこうと思う。読者は少ないかもしれないが、それでもいい。少数の真剣な人達だけを対象に、その代わり私自身も精一杯真摯に回答していきたいと願っている。
 

*1:ああそういえば、現在の屈辱、なんてものも忖度しなかったなぁ。将来屈辱を味わったり無知であるぐらいなら、今徹底的に恥をかかなければと思って。現在の自分がどういう気持ちになるかではなく、十年後の自分がどういう気持ちになるのかが行動原理を支配していた