シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

 つづいて、id:Leiermannさんからのご指摘。これは汎用適応技術研究の今、侮蔑の視線を感じているオタク達は、清潔な格好を整えれば侮蔑の視線に苦しまなくなるのか?(汎適所属)を反映したものと思います。
 

附言するとすれば、「脱オタ」に感情的に反撥する理由としては、服装の評価は流行の変遷に伴って基本的に低下していくものだということも挙げられると思います(これもシロクマさんが常々書かれていることですが……)。折角一念発起して、服装に幾許かの投資をして、標準的な程度の服装一式を手に入れても、それを着こなせるようになった頃には「流行遅れ」となっていて、いつまでも追いつけないという泥沼があるのではないでしょうか。結局、ファッション自体をある程度「趣味」的に楽しめるようにならない限りは、不満はやまない構造になっているのではないかと思えるのですが、いかがでしょうか。

 
 確かに、ファッションの評価は流行その他に影響を受けやすい。しかし、最低限の服飾とエチケット(つまり清潔感やマナー、という意味にだけにおいて)は、流行の影響を受けないし、それこそ5年前の新古品のシャツとかでも構わない。汎適本家の記事で「最低限の服飾とエチケット」という修辞を敢えて用いているのは、ファッションという次元をなるべく読者の人に意識させないようにという意図があったりしたが、やっぱりファッション意識しちゃうよなぁ。

 ファッションという次元を考慮しない最低限の服飾とエチケットは『クリスマス(でない)パーティー | On Off and Beyond』やユニクロやGAPなどの服装でも十分対処可能なものだと思うし、この次元においては流行遅れがどうという事は懸念の対象にはならない。そしてならないからこそ簡単に実現可能であり、一冊のマニュアルを通読しただけでも身につく可能性があると推測できる。一方、id:Leiermannさんが仰るような流行遅れ云々の問題は、既にエチケットやマナーや清潔感という次元ではなく、ファッションという次元で検討すべき問題ではないだろうか。そしてファッションという次元で論ずる場合、ユニクロや無印などの服飾は、購入時点で既に丸井系やもっとファッションファッションしたお店の商品の後塵を拝しており、それが流行遅れになるとかならないとかを云々する意味はあまりないだろう*1。これは喩えですが、ファッション流行100段階評価で既に15ぐらいの状態のユニクロや無印を購入するとすれば*2、そんなの流行おくれになって評価が下がって5ぐらいになったところで大勢に影響は無い。ファッションという次元でみるなら、買いたての時から「最低限の服飾」はつまり最低限ラインのファッションとみなされるので、時代遅れについては大した問題にはならない。
  
 例えばLeiermannさんが服飾という次元だけを意識するならともかく、ファッションという次元における流行りや差異化について意識する限り、やはりファッションを希求する方向にならざるを得ず、それこそ脱オタにみられがちな発想に直面するしかなくなるのではないだろうか。即ち、ユニクロやコイムサイズムでは差異化が不十分ゆえに不平不満を感じるようになるだろう。ファッションという次元を考慮するなら、いわゆる最低限の服飾やマナーは無力に過ぎない。だって差異化の記号としては機能しないのだから。
 
 ついでながら、服装一式手に入れて云々のところにも、注意を喚起したいところがある。仮に高価な服を一揃い手に入れたとて、ファッションという次元においてはその服とて鮮度が落ちていくのは避けられない。伝統的定番においてもすら服そのものの経年劣化があるので、結局は毎年幾らかづつは服を買わなければならないし選ばなければならない。このため、ファッションに興味を持つか否かはともかく、ファションに対する何らかのインセンティブが要請されるのはどうしようもない。それがなければ、ファッションを維持することは出来ない。傷んできた服を買い換えたり、自分の年齢に合わない服を更新したりする作業を、動機や目的も無しに実行できるとはとても思えない。もちろん脱オタの服飾部門に関しては、このようなインセンティブ獲得は必須だろうし、そこは今後の脱オタ方法論においても触れなければならないところだと思う。まぁ一冊の脱オタ参考書程度でそれが手に入るとは思えないにしても。Leiermannさん、考察の機会を与えてくださりありがとうございました。
 

*1:おそらく日本でシリコンバレーのファッションに該当するような真似を若年者がする時なんかもそうなるんじゃないかな

*2:目利きの鋭い人は、そこから80ぐらいを嗅ぎ分けるだろうが、初心者には不可