シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

 
 他人に気づかれる自意識は、コミュニケーションのあらゆる場面にあらゆる形で刻印されている。勿論、それを隠そうとする人もいるし、それがあまり出てこない人もいるが、沢山のテキストや沢山の発言、沢山の眼差しのなかに自意識、あるいは自己愛、は埋もれている。例えば私のサイトに書いてある諸々のテキストは、それを丹念に調べ上げた人にとっては「シロクマを知る良き調書」になるのは殆ど間違いない。だから、テキストそのものにそういうモノが滲み出てくるのは、やむを得ないことのように思えるし、一部のプロを除けば健全なことですらあるように思える。もちろん、そのような自意識を発見した他人がどう評価するのかは別の問題だ。
 
 それにしても、テキストに埋没する自意識に関しては、ふと考えると色々考えさせられる事はある。例えば、
 
 1.自意識をむしろ過剰に刻印してくるテキストがワーッと沸いてくる筆者ってどういう人?
 
 2.逆に、漏れ出る自意識をマスクしたり制限したり「しなければならない」か否か?もし「しなければならない」んだとしたら、それってどういう個人やどういう場面なの?
 
 とか。
 
 1.については、やっぱり若い人達や、若い人達のままの人が該当するのかな、と思ってしまう。人によっては、それを思春期的な心性という切り口で論じてしまうかもしれないし、もっと文化的/状況的切り口からアプローチしちゃうかもしれない。
 
 2.については、プロのような立場の人や、運動家を自称する人、プロでありたいと願う人、アマチュアだけど「みんなに認められるテキストをあげたい」と思っている人が該当するのだろうか。どちらにしても、普通に「homepage」を開いている大多数の人や、blogを日記として運用している人には縁の無いことだろう。チラシの裏や日記帳にどのような自意識が漏れていたとしても、それはそれで大変結構なことのような気がする。
 
 …にも関わらず、実に多くの非該当「homepage」や「日記blog」で、自分自身の自意識に対する意識が観察されるのは何故だろうか?やたらアクセス数が無いページであっても、である。環境や状況や時代のなせる技なのか、それとも…。