シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

 今日は実家に帰っていて、Civillization4をプレイすることができないので、ダイヤルアップ回線でこうしてセコセコはてなアンテナ先を巡ったり文章書いたりして時間つぶしをしているわけなんですが、
 
 なんか、脱オタとか脱非モテについて色々飛び交ってますね。
 
 双方の文章をざっと読んでみて思ったのは、修辞をもう一工夫するだけで回避できるであろうコンフリクトが、修辞上の僅かな配慮不足によって起こっているのではないかという事。ディスカッションを行うにあたり、修辞は意外とバカにできないと思う。言葉の選び方や運び方に工夫することで、誤解や感情的反応を最小限にしながら自分の本当に主張したいことを伝えるための技術。これが修辞の重要なところだと私は思っているし、だからこそ拙いながらもいつも気にしている。これを無視して「書くことをラクする」と、伝えたいポイントを誤読されたり無視されたり、はたまた主張の中心とは離れた所に批判が集中するという結果を招きやすくなるのではないか?おそらくこの主題は、互いの心の底に眠る心的傾向が議論にバイアスをかけやすいものだと思う。だとすれば、ディスカッションの当事者さん達は、誤解の回避や感情的バイアス(こいつは書き手読み手双方の目を曇らせる)の軽減には、いつも以上の注意を払ったほうがいいんじゃないかと思いました*1
 
 そう思った私ですが、明日家に帰ってシビライゼーション4がプレイ出来るようになったら、自サイトの以外はネットとおさらばして、快適な廃人ライフを過ごす予定です。建設的な議論が営まれる事を、陰ながら祈念しています。
 
さーて廃人廃人!ガンジーじいさんが、ボクの帰りを待っている♪

*1:ただし。もしディスカッション以外のものの目的を優先させるならばこの限りではない。自分の感情的満足・読み手の感情的反応の煽動・政治的発言が目的の場合には、誤解を気にしなくても良い場合があるし、感情的反応をむしろあおったほうが良い場合もある。まあ、そんなものは議論とは別の名前を与えられて然るべきだが。当然、せっかく本当に議論を志向していても配慮が足りないテキストは、読み手に対して「別の目的があるんじゃねーの」という警戒感を与えてしまうリスクを負うわけでもある。面倒ですね