シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

はてなブックマーク - また君か。@d.hatena - 非モテ関連メモ 2

 面白い考え方だった。脱オタに関しても、現状の脱オタさん達の「選択」についても、私もだいたい同意見だなーと思うのでした。しかしMMOの管理者云々のくだりはかなりびっくり。確かにそういうのあるなーと。ついでに言えば、MMOの人気職業云々の問題は異性獲得競争という本能と関連した問題を含んでいない点にも、言及して頂けたら最高だなーなどと贅沢な事も思ったりしたのでした。MMOの世界では、モテだの何だのと違って、職業の有利不利はセクシャリティとは直接関連が無いし、それ以外も含めた自己実現ともあまり縁が無いかもしれない(ギャンのようなキャラ育成は、少数の居残り組に、逆にある種の優越感なりなんなりをプレゼントするもんね)。

ではなぜやってはいかんのかというと、それは「対応的行動」が「非を認める」ことと不可分だから。いやべつに「非」ではないという話なんだけど、このへんの感情は説明しづらい。折れるべき時というのは自分が誤ってかつ相手が正しいことが明白なときで、相手が正しいかどうかはともかく、すくなくとも間違ったことをした覚えのない自分が困難な状況に対して折れてみせるなど「誤った誤り」だ、二重のミスなど許されない、とかなんとか。で、その逆をいくと、対応しない限り非を認たことにはならない、といえる。「喪男は脱オタと違って行動しようとしない」のではなく、「対応しないことを選択している」という話なのだ。

 このくだりは、丹念に眺めてみる必要がありそうだ。ちなみに私も、上記の「非を認める」ことと不可分という経験を実際にしている。「ともかくもオタ服やオタ趣味は社会的に叩かれやすい」と認識して対応的行動をとることを、「非を認める」というカテゴリに加えるならば、だが。
 
 他人からの評価、というものにこだわるなら、私は今でもオタの諸属性は「非」と認識されやすい事を平然と認める。いずれ「非」と認められない日が来るような気がするが、それはまだ先の話。当面はやはり「オタっぽい服」「T-72万歳!」「コミケに今年も参加」といった呈示は、非オタク文化圏からの否定的評価に繋がるだろう。COMME CA DU NERDに触発されて私が企む、nerd fassionの表明なんてものも、余程気を利かせない限りは罵倒と嘲笑のまとになるのは目に見えている。故に、私個人の適応を最大化するには、このような罵倒や嘲笑を避けるための一工夫が要請されることとなる。*1
 
 一方で、他人からの評価、というものにこだわらないなら、「オタ服やオタ趣味は、自分によって叩かれやすい」とは必ずしもならない点にも注目して頂きたい。他人からの眼差しだけを評価軸とするなら、脱オタは「非を認める」に直結する。だが、他人からの評価と自分の評価がある程度までは別個に動いている私にとって(勿論多くの方もそうだろう)、他人からの評価軸において否定的評価を認めることが私自身のそれを認めることとは必ずしも等号で結ばれるわけではない。長い時間軸で見ればその両者は接近しやすい性質を持っているが、完全にはイコールではない。それらの距離がイコールか、それともイコールにとても近い「他人への意識過剰」「他人からの評価だけで自分の評価が殆ど決まる」人においては、この限りではないわけだけど。他人からの評価軸において「オタ服」「オタ趣味」が否定的であることを認め、非オタク達に対して適切なコミュニケーションスペックを呈示することは、私個人のオタク趣味やオタク服への評価にはあまり影響を与えない。俺、好きなまんまだお。
 
 他人の評価軸におけるオタへの否定的評価は、社会適応上、上手にかわしたほうが色々楽が出来ると私は考える。だけど、そういう他人からの評価軸に自分自身の価値観までもが同化してしまう必要性は、微塵も認めない。バトルガレッガや同人や秋葉原が大好きな、そういうオタクとしての志向や嗜好を失えばこれは実に高コストと感じるが、他人からの評価軸へのパッチ充て(=脱オタ)を行いつつもオタ熱意が今後も保護されるなら、他はどうだって良い。いや、どうだってよくない人も沢山いるのは知っているが、どうだっていいと思う人も沢山いたっていいと思う。上記引用に沿って自分を省みれば、私は確かに「非を認めている」とカテゴライズされよう。だが、それをもって自分がオタク趣味を非としたとは捉えない。対応的行動は行うが、それは私の内面におけるオタク趣味への評価とは別個の問題である。勿論、別個ではないと捉えるのも一つの視点だが、私はその視点を採用しないし、「絶対に採用」しなければならないわけではない事は、ご存知のはずだ。

 
 私はオタクで、オタク趣味が大好きだ。だったらそれでいい。非を認めるとか認めないとかは、そういうことにこだわることによって何か得るところのある人たちに任せておくとして、私はオタク趣味とオタク界隈のコース料理をむしゃむしゃ食べ続けることにしよう。さて、今日は貴重な休日。先日秋葉原で買ってきた色んなものを、ご馳走になるとしますか...。

*1:この一工夫(=脱オタ)によって非オタク分野における適応が向上するならば、自ずとオタク趣味分野における私の適応にも良い影響が得られると信じている。現在私はそれらの工夫を通して、非オタク達にオタク界の特産物を輸出している。彼らへのオタクコンテンツ紹介は、私のオタクとしての矜持を一層高めてくれる。脱オタという一工夫によって、オタク趣味を周囲に浸透させやすくなったのは、喜ばしいことである