シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

ネットでギラギラ輝き続けるのは難しいものですね

 
 インターネット上で注目を集め続けるのは難しい。
 
 これまでに、幾つものの人気サイトや人気ブログが興り、消えていった。ある者は消し炭も残さないほどの炎上によって爆発四散し、ある者は誰にも顧みられなくなって更新が途絶え、看取る人も少ないうちに消えていった。
 
 “インターネットの人”としてキラキラするのは、実はそれほど難しくない。今まで明かしたことのない遍歴や性癖をクソ度胸で書きまくったり、時事ネタ・社会ネタに対して極端なオピニオンをがなり立てれば、案外、人は集まってくる。はてなブログやはてな匿名ダイアリーの場合は特にそうだ。過激な表現と誇大な気分、PVや承認欲求に対する執着さえあれば、かなり高い確率で“今をときめくインターネットの人”にはなれるだろう。
 
 けれども、“インターネットの人”として一年、二年とキラキラし続けるのは難しい。ネタの引き出しが無くなってくるし、PVやアフィリエイトに月並み感が伴ってくると、文章にあってしかるべき脂身がなくなってしまう。倦怠期に入ったブロガーの文章からは、舌なめずりしたくなるような神通力が失われてしまうことが多い。なにより、視聴者はどんどん飽きてしまう*1
 
 そんなわけで、どんなにキラキラしたブロガーでも、一年〜二年程度で息が切れてくる人は多い。ネットウォッチ的には、そうやって息が切れてきてからのブロガーのあがきがひとつの見所で、必死にあがいた挙句にスキャンダラスな燃え方をする人もいれば、新境地を切り開いて大きく成長する人、生まれてくる季節を間違えた蝉のように動かなくなっていく人など、さまざまな転帰を眺めることができる。蝋燭の明るい輝きを眺めるのも素晴らしいが、風前の灯の運命を眺めるのも、それはそれで趣深い。
 
 

そのギラつきは赤色巨星のように

 
 そういう、主系列星*2のごとききらめきですら儚いのに、世の中には、全身これ焔といわんばかりの、ギラギラした“インターネットの人”が現れることがある。他の追随を許さぬスピードと質量を伴ったアウトプットで、インターネットの一角に強力な磁場を形成するような、恐るべき存在。畏怖・侮蔑・絶賛・嫉妬・憤怒といった強い感情を惹き起こし、本人が望むと望まざるとに関わらず、喧々諤々の論争を呼び起こすような、ギラギラした“インターネットの人”を、あなただって目撃したことがあるはずだ。
 
 ただし、こういうギラギラしたアカウントの寿命は、一般的には短い。最近では、
 
 http://buzama-www.hatenablog.jp/entry/2014/09/15/%E5%BF%83%E3%81%8C%E6%B7%B1%E5%88%BB%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%80%81%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E4%BC%91%E6%AD%A2%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
 
 こちらのブログの休止宣言が記憶に新しい。このブログは、なりふり構わぬ渾身の記事を連投していて、あたかも高濃度酸素を吹き付けられた蝋燭のようだった。それゆえ、かけがえのない輝きを放っていたとも言えるが、傍目に観て持続可能なブログライフとは思えなかった。
 
 稀に、非常に長くギラギラしつづける“インターネットの人”もいる。ブログ『ハックルベリーに会いに行く』のハックルさんこと岩崎夏海さんも、その一人だろう。この人の場合、ベストセラーを売り、テレビに出演してもいるので、“メディアの人”と言い直すべきか。はてなダイアリーで人を食っているのか釣っているのかわからないネットライフを始めて以来、何年にも渡って独立独歩の輝きを放ち続けていた。
 
 ところが、この岩崎夏海さんでさえ、今はギラギラしていない。
 
 岩崎夏海の冬: やまもといちろうBLOG(ブログ)
 
 やまもといちろうさんは、岩崎さんにエールを送っているのか傷口に塩を塗りこめているのか判別の難しい文章を書いておられるが、確かに、最近の岩崎夏海さんには往年のギラギラした、人間離れした神通力が感じられない。こういう言い方は失礼にあたるかもしれないが、まるで、憑り付いていた妖怪が剥がれ落ちて、普通の人間になってしまったかのようだ。現在の岩崎さんは、頑張ればキラキラできるかもしれないが、ギラギラできるようにはみえない。
 
 「妖怪憑き」と言うと悪口のように読めるかもしれないが、誤解しないで頂きたい。私は、メディア上で人間を魅了するためには、「妖怪憑き」というか、なにやら常人離れした雰囲気、あるいは神通力とでも言うべきパワーが必要だと半ば信じている。不特定多数の心をかき乱し、本人をアテンションの高みへ、視る者を感情の坩堝へと叩き込める人間には、承認欲求のような一般的な感情だけでは説明出来ない何かがたいてい宿っている。その、怪力めいた素養を、ここでは「妖怪憑き」と呼んでいるわけだ。
 
 ところが、今の岩崎さんのtwitterからは、それがあまり感じられない。最近私も、岩崎さんとtwitter上で言葉を幾つか交わしたけれども、あの脂ぎったアクの強さ、超然としたオーラが感じられなかった。まさに“岩崎夏海の冬”としか言いようが無い。
 

 
 こうじゃないんだ!こんな、人目を意識し、損得を計算した岩崎さんなんて、誰も期待していない!もし、この路線で頑張れたとしても、そこいらの“インターネットの人”みたくキラキラする程度のもので、背中に汗が滲んでやまないような、あの怪異なギラつきには及ばない。
 
 もちろん、岩崎さんにおかれては、時には意気消沈することもあるだろうし、人並みの休息が必要なこともあるだろう。また、人の子である以上、承認欲求に恋しさを感じる瞬間だってあるに違いない。しかし、気力体力が充実した暁には、他人の反応を度外視した、ときに凡人の想像の斜め上をいきかねない、どこか超然とした魅力を、メディアの上にぶちまけて欲しい。そして、人間世界のあらゆる感情を集めてなお屹立して頂きたい。
 
 岩崎夏海さんにおかれては、赤色巨星のように爆発四散するのでなく、希望と絶望が相転移してブラックホールに至るでもなく、変光星のように復活して欲しいものだ。
 
 ハックルさんの話を書いているうちに、盛大に脱線してしまった気がするが、かように、インターネット上でキラキラし続けるのは困難だ。まして、粘っこくギラギラ輝き続けるのは並大抵のことではない。ああいうのは、怪力めいた素養のある人物だからこそ出来ることであって、普通の人間が真似をしたら、人生の残機がいくつあっても足りない。
 
 ネットで長く遊んでいると、私なども、つい、キラキラギラギラしてみたいと思う瞬間もあるけれど、分を弁えて、星の誕生と爆発を眺めているだけで満足しておこうと思う。ああいう営みって、難しいものですね。
 

*1:自己開陳系ブログや自意識開陳系ブログの場合は、このあたりのバランスが難しい。専門特化ブログも、インプットとアウトプットのバランスシートを誤ると干上がってしまうリスクがある

*2:しゅけいれっせい:一般的な恒星。太陽などがこれに該当する