シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

今の彼氏の五倍の収入を持ち、もっと優しく美しく面白い男に誘惑されたら、あなたは堕ちるだろう

 
 あなたの恋は醒めるだろう。今の彼氏はつまらない男にみえるだろう。今まであった恋は醒める。新しい恋が生まれる。男を捨てた羞恥心を埋め合わせる為の最善の防衛機制または努力が為され、おそらく成功する。五倍の収入の優男が十分に気を利かせて優しく対処してくれたなら、あなたは今までの彼氏を捨て、男を乗り換えたという事実を、最も効率的な論法で正当化する。あなたが幾らか善良ならば、「反省期間」なるものが設けられるかもしれないし、あなたが素直な女性ならば、反省せずに繁殖上の利益*1を最大化してくれそうな男に乗り換えることを手放しで喜ぶだろう。勿論、こうしたあなたの性質を利用して襲ってくる厄介な詐欺師共には警戒しなければならないが…。
 
 また同様に。
 
 今の彼女より年下で、もっと健康的で美しく、気の利いた女性が優しく迫ってきたら、いまの彼女は色褪せてみえるだろう。まして、彼女のいない男性にとってはとてつもない存在にみえるだろう。新しい恋が芽生える。女を捨てた罪悪感を埋め合わせる為の最善の防衛機制または努力が為され、おそらく成功する。若く麗しく聡明な女性が十分気を利かせて優しく対処してくれたなら、あなたは今までの彼女捨て、捨てたという事実を、最も効率的な論法で正当化する。あなたが幾らか善良ならば、「反省期間」なるものが設けられるかもしれないし、あなたが素直な男性ならば、反省せずに繁殖上の利益*2を最大化してくれそうな女に乗り換えることを手放しで喜ぶだろう。
 

 個人の選択は、自分の利益を最大化するように、自分の損失を最小化するように選択される。あるいは利益をあげる期待値を上昇させるように選択される。この最も基本的な原理を踏まえたうえで「美しい愛情物語」を解剖してみたら、身も蓋もないこうした要素でたいていは構成されていると気づき、嫌な気分になった。こうした事態を防ぎたいと思う個人は、結婚という概念や、両家の関係、性的以外の双方の魅力、などなどといったかすがいに気を配ったほうが良いかもしれないですね。
 

 ※尤も、途方もない異性にアプローチをされるって事は、それなりのモノを自分自身が保っていることに他ならないような気がする。また、男性側から女性側へのアタックのなかには、「五倍の収入なり何なり」をみせ札にして誘惑し、性的に搾取するだけ搾取して捨てるようなプレイヤーがいる点にも注意。話はこんなに簡単ではない。
 

*1:勿論、子どもに引き継がれる遺伝子そのものもこの利益には含まれる

*2:勿論、子どもに引き継がれる遺伝子そのものもこの利益には含まれる

「おたく」は消えるべくして消えたが、個人個人の「おたく」魂は永遠に

オタクは死にました - kasindouの○記
 

 オタキングの岡田さんが、泣いてみせたそうだ。“「おたく」は死んだ”として。今更人前で泣いてみせなくてもいいのに、と思う。あの人は十分に賢いようにみえるので、本当はとっくに気付いていた筈だ。誰もいない時にこっそり泣いていた筈だ。なんか理由があって、今回敢えて人前で泣き直したんだろうけれど。
 
 オタク黎明期を支え、未開のジャングルのような状況を死にものぐるいで開拓してくれた第一〜第二世代オタク*1は、とっくの昔に少数派になっていた。現在オタク趣味と呼ばれやすい諸分野(アニメ、漫画、ゲーム、アイドルetc)は、膨大な作品群とそれらを選別するレビューやまとめサイトの存在によって、いまや「自力でジャングルを開拓するおたく」ほどの能動性や執着が無くても楽しめるものとなった。オタク趣味を楽しむ為に「おたく」たらなければならない必然性自体は、個々のオタクにはもう無い。ハズレをひかずに楽しいオタクライフをエンジョイしようと思ったとて、作品を嗅ぎ分ける嗅覚を磨く必要は無くなったし、ましてや地雷作品で酷い目に遭う危険を冒すこともない。“鼻を磨かなくても、腕を磨かなくても、誰かが代わりにやってくれる…自分は快楽だけ刈り取ればいい”――インターネットに転がっているレビューにお任せしておけば、ピンポイントで自分好みの佳作を購入することが出来る――それが、2006年のオタクを取り囲む環境だ。今でも生き残る「おたく的なもの」を持った者達が開示してくれる情報・判断のショートカットを、最も受動的なオタクすら存分に利用出来るのが現在だし、そのようにしている純受動的なオタクは実際にいると思う。このような“快適”な環境下にあって、敢えて旧来の「おたく」たろうと指向する者がどれだけいるだろうか?戦場を飛行機で視察するのと自分の足で見て回るのでは景色が違うとはいえ、ジャングルを自力で開拓し地雷を手で除去する手間を省略する誘惑に抗するのは、容易なことではない。
 

 それより、無茶苦茶な数の作品群のなかに埋没してしまっている現在、オタクの有り様が「おたく」とは違った形態をとるのはむしろ自然で、踏み込んで言えば必要ですらある点に私は注目したい。まとめサイトやレビューを効率的に利用し、自力で開拓したり自力で比較したりする部分を最小化する事は、巨大化したオタク界隈を泳ぐ現代オタクにむしろ求められている技能と言えはしないだろうか――「おたく」の精神に反することにせよ。あまりにも沢山の作品を抱え、細分化され尽くしたポストモダン的オタク界隈を、一人のオタクがすべて見通すことは現実問題不可能になっている事を私は忘れるわけにはいかない。「おたく」スピリットを持った者とて、自分が触らない作品について一定の見通しをたてたり、無限の選択肢のなかから作品選択を行うにあたって、「情報と判断のショートカット」の助けを全く借りないわけにはいくまい。かつて「おたく」達は未開拓のジャングルを自分の足で踏破しなければならなかった一方、既存の作品すべてを自分自身の足で踏み確かめるのは困難ではあっても不可能ではなかった。例えば20年前の家庭用ゲーム販売数なら、それこそ全部自分の足で確かめて歩くことも何とか可能だったかもしれず、少なくとも他人のレビューに頼らなければ全体像が把握できっこないという危機感も希薄だったんじゃないだろうか。だが、現在の家庭用ゲーム販売数でソレをやるのは不可能だし、それを目指すのもおそらくナンセンスに過ぎる。自分の足で一年分のゲームを踏破している間に、数年経っていたなんてことになりかねない。やはり、取捨選択を効率化する為に「自分で考えずに他人に考えて貰う」部分も必要じゃないだろうか。
 

 勿論、このような理由をもって「ただ受動的に喰うだけのオタク」「鑑識眼の放棄」といった姿勢を正当化することには、私は反対する。とはいえ、他力本願を退け『好きなものを自分で決められる知性と偏見に屈しない精神力』に任せていては幾ら時間とお金があってもどうにもならない現状は、議論にあたって十分考慮に入れておかなければならないと思う。膨大な作品群に埋もれ、情報ハイウエイを手に入れてしまった私達が、純粋な「おたく」たる事は事実上不可能になっている。自分の足で全てを踏破し、自分で考え自分で決める――そんな貴族のような「おたく」像は確かに理想的には違いないが、そんなの現状ではできっこないのだ。作品の累積・情報化社会・ポストモダン化の影響を考慮すれば、「おたくは死んで当たり前」なのではないか?岡田さんが称揚した「好きなものを自分で決められる知性と偏見に屈しない精神力」に近い理想を抱えながらも、それが叶わない現実とのギャップを感じ、山積みされた作品群のなかで呻いているオタクって案外と多いのではないだろうか。
 

 「おたく」は死んだ。死すべくして死んだ。岡田さんが理想とするようなスタイルでオタクをやるのは日々困難になってきており、現状では完全なる履行は不可能なだけでなく、かえって視野を狭めてしまうリスクすら負うことになる。「好きなものを自分で決められる知性と偏見に屈しない精神力」という理想は、同人誌やDVDやエロゲー箱の重みで今にも潰れそうで、“素晴らしきまとめサイト”の誘惑は強烈だ。
 

 だが、個人レベルにおいては「おたく」の精神が全て潰えたわけではない。自分のオタクとしての技量なり知識なりコレクションなりを、自分自身のなせる限り精一杯錬磨しているオタクはまだまだ多い。好奇心の赴くまま、「おたく」たろうとまさに身を粉にしている者もいる。オタク趣味しか遊べなくて消極的にオタクになった人のなかにも、オタク界隈の魅力に夢中になって求道していく者は少なくない。確かに、表面的には2006年のオタク的状況というのは「おたくは死んだ」と呼ぶに相応しいと言えなくもないが、個人レベルにおいては、まだまだ「おたくは死んでいない」。これからも死なないだろう。どんなに沢山のコンテンツに埋もれようとも、どんなにオタク界隈が広大になりすぎて全容が把握しづらくなろうとも、オタク達、少なくとも何割かのオタク達は「おたく」スピリットを完全には捨てずに邁進していくと私は信じている。また、それに伴って様々な新コンテンツも生まれ続けてくると信じている*2。前人の偉業を超える作品が出てこないとか、前人のオタク達に永久に敵わないとか、そんな風に悲観する必要はないと思うし、個人レベルではそんなものはどうでも良いことではないか?少なくとも私自身は、『好きなものを自分で決められる知性と偏見に屈しない精神力』の希求と(まとめサイト利用などの)他力本願との妥協点を探りながら、一オタクとしての日々を大切にしていくだけだ。個々のオタクの皆さんも、マクロレベルのオタク達がどんな傾向なのかに関係なく、自分自身のなかの「おたく」スピリットを殺さず、ただ前を向いて歩いていけばいいと思う。
 

 ほら、涙なんか流してる場合じゃない。涙を拭いて、未読の同人誌と手つかずのゲームに手をつけよう。岡田さんの理想像とは幾らか違うかもしれないにしても、「おたく」スピリットを抱えた一オタクとして、前を向いて進んでいこう。好奇心を満たす新しい出会いが、きっと待っている。
 
[関連]:オタク達は、もはや技能集団でなくなりつつある - シロクマの屑籠 
[あー、やっぱり感じだったのね。でも何でわざと泣いたかだけ分からないまま。]:オタク・イズ・デッド: 【今日だけダイエット】のススメ

*1:注:ここでいう第一・第二世代とは、東浩紀分類のほうを指す。大まかに言って1970年以前生まれのオタク世代

*2:既存のデータベースの色合わせをするだけに留まらないコンテンツも、だ。