シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

淘汰!淘汰!また淘汰!

 

Amazon.co.jp: 恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (2): ジェフリー・F.ミラー, 長谷川 眞理子: 本

 機会が平等に与えられている(実力主義)と、結果が平等であること(平等主義)とは異なる。狩猟採集民の部族は、肉を分けたり、部族内での討論で各自の意見を述べたり、誰かが「チーフ」になるのを避けたりするといった、いくつかの事柄については、非常に平等主義である。それでも、彼らは、繁殖においてはたいてい実力主義である。なぜなら、恋人選びがあるために、繁殖に関する競争において、結果を平等にもっていくことは不可能だからだ。女性は、すべての男性が平等にセックスの機会を持つことができるという考えが気に入るかもしれないが、いざ自分が、魅力的と思わない、適応度の低い男性とセックスをする段になると、恋人選びの力を発揮したいと思わないに違いない。
(恋人選びの心・下P474より抜粋)

 この「恋人選びの心」は、進化生物学界隈の本のなかでも、性淘汰に焦点を絞った、ちょっと勇み足の本だが、まずまずの説得力を有しているようにみえる。モテるモテないとか、雌雄とかに興味のある人は、一度みてみると面白いことが見つかるかもしれない(だけどその前に、もうちょっと手前の進化生物学入門書を読んだほうがいいのかもしれない)。
 
 性淘汰の議論を参照にする限り、セックスボランティアや恋愛共産主義といった目標を掲げることはかなり無謀なものにみえる。もし、セックスボランティアなどということをやるなら、女性が「遺伝子に刻み込まれている傾向に逆らって」行動しなければならない部分はとても大きいので、それはストレスフルなものになるだろう。まして、好ましくない男の子孫を無作為に孕まされるリスクを侵すというのは堪え難いことに違いない。セックスの提供と引き換えに肉や金銭を手に入れる売春行為はまだしも、無償で、自分が評価しない男と性的関係を持つことは女性にとって滅茶苦茶苦しいことのようにみえる。
 
 また、男性の側も、そのような平等主義を唯々諾々と受け入れるとは思えない。どこの馬の骨とも思えない隣の男が、嫌がっている美しい女を草むらに無理やり連れ込むのを黙ってみている奴はあまりいないだろう。仮に恋愛共産主義的な法令などが出ようものなら、男性側・女性側双方が「性的パートナーえり好みをしようとして違反」し、その抵抗は禁酒法に対するものをはるかに上回るものとなることだろう。
 
 この本を参照にする限り、これからも男女双方のえり好みは必然的に発生し続けることが予想される。勿論、現代社会も現代社会なりに「強い淘汰圧」に晒されてはいるので、性淘汰に由来する淘汰は、それなりの速度で進行していくことだろうし、性淘汰にまつわるえり好みは存在し続けるだろう。