シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

なんだ、東方ちゃんと面白いじゃん

 
 我が家にもようやく東方シリーズが揃い、コントローラも買ったのでプレイが可能になった。「ははん、ゲーセンのシューティングに比べればぬるい弾幕&ぬるい弾筋だな」と思うも、バタバタやられてクリアできず。「ゲーセンの筐体に入っていればお前らなんて敵じゃない!」と叫んだところで負け犬の遠吠えで、家庭用には家庭用の流儀がある事を無視するわけにはいかないので、何とかハンディを克服しなければ。
 
・ジョイスティックではなく、パッド故のハンディ
 ジョイスティックは、慣れると抜群の安定性を誇り、誤動作を最小限出来るインターフェースだと思う。でもパッドはそうはいかない(俺が慣れていないってのもあるけど)。左手のぐらつきの影響を受けやすいのだ。対策としては、コントローラの下にタオルをひいて、右手のショットボタンはゲーセンみたいに上からボタンを押さえつけるように、左手はしっかりタオルに押しつけて固定するように。 これがわかるまで、normalすら全然進まず苛々したが、ちょっと改善。
 
・画面小さい!
 当たり前といえば当たり前なんだけど、画面が小さい。オペレーションの精密さという点では(normalやhardぐらいなら)アーケードゲームより下の筈だけど、画面が小さいから段幕の見かけ上の狭さはサイヴァリア・式神の城並みに感じられる。どこか、弾幕にビビっているような気がする。これじゃあミスが増えるってものだ。
 
 画面にしてもジョイスティックにしても、やっぱりインターフェースの問題をどう克服するのかが鍵だろうか。まだ二作目「東方妖々夢」のnormalをクリアしただけで、しかもこれだって初見はおろか、何回もやらないとクリア出来なかったわけで、下級シューターとはいえシューターである事に拘りを持つ俺としては、自尊心を満たし技術を向上させるうえで何としてもアタックしたいところ。全部の作品でhardぐらいを何とかクリアしたいけれど、果たしてどこまで達成出来るか。長時間遊んでいる余裕がなくても、クリアラーなら何とかしないと。その為のクリアラーなんだし。
 

僕はどこで「仕事」すればいいのかな?

 
 税理士が酒場で算盤勘定をすると誤りが多くなるだろう。
 淫売婦が講堂で客引きをしても、儲かりにくいだろう。
 産婦人科医が納骨堂でするべき事は、何もない。

 税理士が、淫売婦が、産婦人科医がそれぞれ適切な仕事をするには、それに相応しい場所を選ばなければならない。そうでなければ、仕事がやりにくいか、仕事が出来ないか、仕事が存在しないだろう。同様の事が、大抵の事にあてはまる。
 

 
 忙しさは、内省する時間を、くつろぐ時間を、まとまったテキストを綴る時間を奪う。それだけでなく、仏教に充てる時間をも奪ってしまう。それは、寂しいことだなと思う。最近、写経をしていない。頭の中では色々なのやつを読み上げたり反芻したりしてるど、脳内だけじゃなぁ。
 

都会のオタクと田舎のオタク

 私は田舎のオタクである。そうに違いない。そんな田舎の私にとって、以下のテキストは他人事ではなく、日々の実感に即したものだと思う。
 
文化と差別、そして「おたくと新人類」 - ARTIFACT@ハテナ系
 
 1997年頃からは、インターネットやniftyserveのお陰で、私も上京してオフ会に出たり東京で買い物をする事が出来るようになった。東京で、各分野オタク文化の最先端を取り込んでいる人達から話を聞き、コンテンツを教えて貰ってちょっと遅く導入する。それと、都会では様々な人と遭えるので、目新しい文化や価値観に触れる機会を得ることも出来る*1。こんな事は昔は出来なかったし、今自分が能動的にオタクやっていられるのも、情報網・交通網の発達のお陰だとは思う。
 
 それでも、首都圏−地方の格差は今でも厳然と存在している。田舎でオタクをやっていて首都圏のオタクに近いコンテンツ摂取をしようと思うと、余計な努力を余儀なくされる。モノや人が東京に集中しているという事や、上京するにはかなりのコストを覚悟しなければならない事が、大きな壁となって立ちはだかる。私はこの壁に負けそうになるけれど、やはりオタオタしていたいので定期的に上京せざるを得ない。
 

  • 都会のオタクにcatch upする為に遭遇する、田舎のオタクの壁

 
・コンテンツの壁。Amazonや通販が普及したとはいえ、田舎でアクセス可能なオタクコンテンツには限りがある。同人レベルになるとこの傾向は顕著で、田舎では殆ど手に入れる事が出来ないと思う。少なくとも私は、「東方」も「月姫」も「ひぐらし」も、全部東京で購入するかオフ会で譲って頂かなければならなかった。他にも、旧いゲームの入手やマイナーな作品にアクセス出来る利便性は都会のほうがずっと上。そういやコミケ参拝も、都会の人が羨ましいと思うことしきり。
 
・人の壁。同人やる為に人と組んだり、希望する人を探したりする事は田舎ではほぼ不可能。田舎ではオタク仲間を選ぶ事は出来ない。都会ではオタク仲間を選ぶ事が出来る。あと、達人達の芸に触れる機会が少ないというのもかなり痛い。例えばシューティングゲームの世界ではそれが顕著で、人材は大都市に集中している。このため、都会の水準についていくのは田舎のオタクにはかなりしんどいものがある。まぁ、シューティングゲームの場合、上手い人がいないならいないで嬉しい事もあるからいいのかもしれないけど(先をみないで、ほぼ自分だけで攻略していく楽しさが田舎では保証される)。
 
・情報の壁。上記の人・モノの壁の帰結として、都会のオタク達のほうが新しくて有益な情報を必要なだけ持っている可能性が高い。いや、都会のオタク全員がそうだというつもりはないけれども、必要な情報を持った人間が都会にいるのは確かだと思う。どのコンテンツが面白いとか、どのコンテンツが流行りそうだとか、そういう情報は田舎に閉じこもっているとなかなか回って来ない。インターネットや2chなど普及したと言っても、然るべき人から直接聞く話には及ばない。それに、秋葉原や中野などに自分の足で行かなければ気付かない事はいっぱいあるし。
 
・距離の壁。そして一番根っこにあるのは距離の壁。どこでもドアがあれば、それこそ毎週東京行くんだけど、そんなの夢物語。実際の私は、上京するために往復3〜4時間の時間的コストと、一万円強の金銭的コストを余儀なくされている。もちろん体力だって使うだろう。距離の壁があるからこそ、人・モノ・情報の壁を克服するのはしんどく、特に社会人オタクにとっては重大な試練として立ちはだかっている。正直、この仕事をしながらオタクをやり続ける自信が無い。いつか私は、自分が望むようなオタクでいられなくなるのかもしれない。
 
 都会には都会で色々問題も多く、例えば子育てなんかには全く向いていないとは思うけれど、オタクとして活動するにはとても向いている空間のように見えて羨ましくもある。オタクだけでなく、その他の文化活動についても同じことが言える。文化活動に関する限り、田舎者は都会者に比べて如何ともしがたいハンディを背負っている。オフ会に赴き、秋葉原を歩き、コミケを参拝する事を通して、そのハンディを幾らか緩和されているとは思うけど、それでも(私などは)色々な点で追いつきづらいと感じている。
 

*1:対照的に、田舎ではオタク集団もファッションも読書とかも比較的均一な気がする、あくまで都会に比べての話だが。選択肢が少ないせいなのか?あるいは「地域」というのはそういうモノであって、それが共通基盤・共通理解を下支えしているのか?

 
 日テレのバラエティ番組や、テレ東のテレビチャンピオンは、ドラマチック過ぎる。“味の素”を混ぜすぎる。だから僕は、あまり好きじゃない。
 

執着ジジイ

 
 欲しがっておるのう。
 這い上がりたがっておるのう。
 ん?欲しいのか?欲しいんじゃな?顔に書いてあるぞうフフフ
 権力を、地位を、文化を、女を、全てを、おぬしは欲しておる。

 ほれ、だったら立ち止まるな!歩け!いや、走れ!
 死ぬまで走れ!死ぬまで戦え!
 周りの連中に差をつけろ!
 勝つんじゃ。負けたらまた立て!勝つまで負けろ!

 勝ったら勝ち続けるんじゃ。二度と手放さないことじゃ。
 用心深く、ずるく、抜け目なく、這い上がる連中をたたきのめすのじゃ。
 ライバル達を蹴落とせ!優越しろ!情けをかけるのは得な時だけだ!
 
 …かつて、こんな爺が私の頭の中で喚き続けていましたが、最近は危篤状態のようです。執着爺は、とにかく勝ち負けにうるさくていけません。友情も異性も、全部勝ち負けという視点でしか語りません。爺にはそれなりに感謝もしていますが、そろそろ御引退頂いてもいいのかもしれません。爺、その人は僕の友達です、道具じゃないですからそんな非道い事言わないでください、あっ!ステッキで叩かないでください!叩いちゃ困ります!叩くな!叩くなって言ってるだろうこのクソジジイ!