シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

オタク達は、もはや技能集団でなくなりつつある

 
 古参のオタクさん達から、最近よく聞くニュアンス。

 「オタクか否かの基準は、最近ではスペシャリストか否かを殆ど問われない」
 「オタクとしての基準に、濃さという尺度は殆ど関係ない」
 と。

 さもありなん。かつてのオタクは、マイノリティ中のマイノリティ趣味を、自分の力で開墾しなければならず、その敷居の高さ故に各ジャンルのオタク・マニアになるには積極的かつ相応の労力が必要だった。消極的になれるほど、当時のオタク界隈は甘くなかったと記憶している。例えばパソコンゲームをやるにしても、最低でもMS-DOSを何とかいじれるぐらいの技能は必要だったし、テープレコーダー時代はもっとひどかった(らしい。そこまで旧い時代は私は経験してない)。同様の傾向がアニメその他にも言え、オタクがオタクとして特化しアイデンティティを形成するには、コンテンツ探しやコンテンツ入手の段階から相応の努力・能動性・アクティビティが要求されていたと思う。実観察でも、最近の若いオタクに比べると年長オタクにはそういう傾向の人が多かったように記憶する。そういや、岡田氏の喧伝した「おたく」も、随分アクティビティの高い集団だったことが思い出される。
 
 対して、現在のオタクはもはやどこでもアクセスできる趣味を、受動的消極的に消費することを許されており、敷居は大幅に下がっている。WINDOWSが普及し、あらゆるゲームを簡単に注文できる現在は、オタク趣味消費者にとっては便利な時代であり、かつてのオタク達のようなアクティビティも能動性もオタクになるためには要請されていない。作品を嗅ぎ分ける嗅覚を養成する必要性も、オタクネットワークを形成する必要性も、wikiやまとめサイトや2chの登場によって大幅に軽減してしまった。情報テクノロジーの進歩は、comfortableなオタクライフをオタク達に与える一方で、オタク個人から濃さや技能や鑑識眼を奪うことになった*1のではないだろうか。かつては必死にマシンを動かし必死に録画し、必死に優良作品を嗅ぎ分けなければオタクは幸せになれなかったのに*2、今はまとめサイトや2chを眺めるだけで各ジャンルの最優秀コンテンツを選択することが出来る。オタクがオタクたる為に、あるいはオタク趣味を遂行する為に、かつて必要だった能動性もアクティビティも苦労も、今のオタク達には要請されなくなった。濃いオタクも薄いオタクも関係なく、高価なパソコンを手にして優秀なコンテンツを見つけることが出来る。それが良い変化なのか悪い変化なのかは分からないが、ただ、もはやオタクたる為に「濃さ」「技能」「能動性」は殆ど必要とされない時代になったというのはほぼ間違いないだろう。
 
 美少女恋愛ゲームをやっていればそれでオタク、コミケに行っていればそれでオタク、服装が汚くて秋葉原を偶々歩いていればそれでオタク…。オタクという呼称の指し示すニュアンスはすっかり変わってしまったし、オタクという呼称で指し示される人間達の内実も変わってしまった。テクノロジー進歩やオタク趣味の一般化によって、オタク達に要請されるものも様変わりしてしまった。かつては能動的技能集団だったオタク、誇り高き趣味人だったオタク。だが、オタクとしての矜持を秋葉原で発見するのは、次第に困難になりつつあるのではないか?

※なお、個人レベルでは同人界はじめ各ジャンルごとに技能オタクは今でも沢山いるにはいる。だが、オタクと呼称される大集団の構成比としては、技能を磨かず受動的に消費するだけの“面白い事が降ってこないかといつも待っている”ブロイラーが増えていると思う。なかには、鑑識眼や技能の向上を怠るだけでなく、自分の舌さえ肥やせない者もあるようだ。グルメにすらなれないようなオタクは、もはやブロイラー扱いされても仕方あるまい。

*1:或いはそれらを養う素質を持たぬ者達の流入を促した

*2:勿論、この努力の果てに掴んだ一本の優良作品は宝になるのだ